2042年に見直すエントリ:目に見えないもの

震災から1年の時に特に何も書かなかったけれど、常々不思議に思っているのは、どうして安全と確証の無いものを拡散して、安全と確証の無いものに群がるのか。

五感で感知出来ないし、ただちに健康被害が出ていない、暫定で決定した基準値より下だから。今のところ大きなところは此れくらいか。

この考え方は歴史的に何度も失敗している事だし、現に瓦礫を処理している各地や、発着している生産物から数値が出ている事から、単純に考えて「安全」では無いという判断が出来る。

薄いから安全的な考え方が出ているけれど、これが「健康に影響の無いレベルの水銀」や、「健康に影響の無いレベルのニコチン」だったらどうか。感覚が変わるだろう。土俵が違うといえば勿論そうだけれど、今回のものは水銀やニコチンより影響も規模も将来への残存期間も大きい。



ただちに健康に影響の無いと言われ、長期的に必ず影響が出てきた事実が、これまで何度も何度も「国」によって繰り返されているにも関わらず、それでも地元の希望をとって現地を封印しない理由が理解出来ない。

故郷や思い入れのある土地を捨てろと簡単に言い放ちたいのではなく、安全の確証が得られるまで、政策として住民の移住や企業の移転をバックアップする事が先決だったんじゃないか・・・と思っていたら何故か汚染物質を拡散して、高レベル地域と背中合わせの地域の生産物を口にしよう!という流れになってる。おそらく海外だと考えられない挙動だろう。



島国で移転先の土地を確保出来ないという課題もあるけれど、「一番安全で誰もが納得出来る方法」をとらずに、「一番不安で誰もが不思議に思う方法」をとる場合は、どこかでまた利益供与が発生している時だ。

金銭、権利、時間、色々あるけど、だいたい「安全だと称する」ガレキを効率よく処分してゆくのに、わざわざ数倍のコストがかかるであろう沖縄までの海上輸送が本当に必要か?。「安全」と国が称するなら特別法でも敷いて処分能力を勘案して処理スケジュールを組んで、強制的に自治体を従わせるべきなのに今度は首長の判断を仰ぎ出した。

何なんだろう。


いずれにしても結果が出るのは、子供の頃身近に有り今では全く違う見方をされている水銀やアスベスト同様、30年先だと思っているので、もしまだ自分が生きていたら30年後に見返して、出来れば「間違ってたwww」と書きたい。