鶏口となるも牛後となるなかれ

群がる仕事を捌くのに忙しく、エントリする話題が無く貧しいのだけれど、続けやすいところから、自分が今まで誰かに言われた色んな言葉を書いてみようと思う。個別の語釈については諸般有るので、読者の皆さんに任せる方向で。

 

「鶏口となるも、牛後となるなかれ」

 

高校受験の際に強く母に言われたのを強く憶えており、以降20年間何かにつけてこれが輝く事になる。

 

当時・・・というか今でもそうだけれど、これといって頭もよくなく成績も中の中といったどまんなかのポジションに居た自分は、何処の高校に行くか特に考えていなかった。

 

まわりは割と頭のいい友だちばかりで、灘や天王寺やと、偏差値が70近いところを目指す子が多かったのだけれど、母のこの一言を参考に、友人を道連れにして、下位のクラスにあたる高校を選定。今はもう校名が無くなった大和川と、電通大付属を受験した。

 

電通大付属は今はどうなってるのか知らないけれど、願書を持ってきた受験生に教室から在校生がヤジを飛ばす様な、それは大変な雰囲気の学校で、「何としても大和川に行かないとヤバイ」と感じ、下位とはいえ調整区域の為ハードルの高い大和川は合格絶対条件となった。

 

めでたく大和川を合格し、あのヤジに巻き込まれなくて良かった...と思い、堂々の入学式の後、教室に着席した自分の後ろに座ってたのは留年したヤンキーだし、横は授業中ヒマになったら「オイチョ株やろうぜww」と誘ってくるヤンキーだし、そもそも「教科書は持ってこないけど少年ジャンプは持ってくる」様なクラスメイトばかりだったので、余り大差は無かったのかも知れない。しかしながら高校生活は皆さんにとても迷惑をかけながら、とても素敵な皆さんに囲まれて、とても充実した時間を過ごす事が出来た。絶対値としての「鶏口」は、卒業生代表で卒業証書を受け取る任を仰せつかった事で成就されたと思う。

 

大学は不合格無しで3つ合格したけど、何も考えずに自分が「牛後」あたりになる大学へ行った結果、面白くなくなってやめてしまった。

 

その後、日雇いの仕事で半年フラフラして、派遣で今の勤め先の親会社が運営する事業所に転がり込んだのだけれど、その事業所が子会社の運営管轄になるという大転換期が有り、派遣会社の本社スタッフになるか、親会社に入るか、子会社に入るかという選択の中で、最終的な決断として規模も給与も大したこと無いけど、先々の面白みと、仕事が好きで仕事してる人々が好きで「子会社の正社員になる」という結論を出して10年近く経った。今の自分の環境は悪くないと思う。

 

自分の選んだ子会社は2度分社したにも関わらず、親会社の支店を軽く超える売上規模を年々更新していて、鶏というよりはダチョウか何かに近い大きさかも知れない。自分はというと、現場から今の本社機能のデスクに座る事になり、社長や取締役に囲まれる「鶏口」の間近で仕事をしている。

 

居心地のいいところで伸び伸びしながら、じんわり進んでゆきたい。と思う位「努力」が苦手なので、背伸びをして取り組もうとした事は概ね失敗する。かといって鶏口の空気、決してぬるくは無いし、特に社会に出てからは本当にご指導ご鞭撻の世界で生活している感じ。ただ将来の伸長も含めて自分の身の丈にあった世界だなぁとは思ってるし、この言葉のお陰で絶妙な選択をしてるな、とは思う。