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Bound For TOKYO_1

晩方から朝方にかけて仕事を片付け、その足で新大阪発の新幹線に飛び乗り、巌根という駅に降り立ったのは、既にいいだけ日が傾いた時刻だった。10年の付き合いが有りながら、aさんのご実家の電話番号は1度も伺ってなかったので、住所を頼りに今回はぶっつけでお伺いする事にした。

 

駅を出て見晴らしのいい街を眺めながら、以前みんなで来た彼が眠ってる寺。確か駅から車で10分15分程だったけど、どっちの方だったかなと思いながら歩いてると、見た様な寺。すげー似てるけど、んー流石にこんな近く無かろうと思って、素通りして歩みを進めるとご実家へはすぐ着いた。

 

なんかこう、業務上だと全く遠慮無くいけるけど、殊プライベートだとこういうシチュエーションって凄い緊張を感じる。すぐ傍にあったセブンで一寸休憩をとり、お店を兼業されている彼のご実家の間口で、まるで新聞の勧誘の様な風情で「あのぉ・・」と顔を出した。

 

彼のお母様と逢うのは結婚式以来なので7年ぶり。

改めて自分が誰それで、aさんの何だったのか、何をしにきたのかを甲高い声で説明すると、仏壇の前まで通して頂けた。遺影は結婚式当日の、あの最高の笑顔。勿論結婚式だけじゃなく、生前彼と一緒に居る時間に何度も見た笑顔だった。

 

手を合わせながら、まぁ彼がそこに居たら間違いなくお茶だ座布団だなんてバタバタしそうだなぁと思ったり。

とても静かな時間だった。あと、何がというわけではないけれど、家の空気というか雰囲気。彼が彼らしくなった理由もなんとなく判った。

 

お茶を頂きながら、彼が亡くなる前、無くなった後の話をお母様と。

 

話は、まるで先月まで彼が生きていたかの様に、新鮮に聞こえた。

3年が既に経過しながらその感覚には驚いたけれど、突然で本当に失礼ではあったけど、来てよかった。

 

ハンカチを握りながら当時の彼を語るお母様が居る一方で、自分は涙の少しも出なかった。

別に悲しくないからではなく、自分の知っていた、自分が感じていた彼と、お母様が語る彼が完全に一致していた事にホッとしていたところがあって、自分が持っている想い出と、聞こえる話を1つずつ合致させる事が出来た事が少し嬉しかった。

 

 

誰も悪くなかった。

 

本当に残念なのは、彼自身とても努力してつくりあげた家庭や自分の環境を、1度でいいからゆっくり立ち止まって、緩ぅく眺め渡す時間をとって欲しかった。ほんと、のんびりボサーッとしてる自分からすると、何もかもが凄い勢いで彼の理想とするカタチになっていって凄かったし、何がそんなに生き急がせたんだろうかな。

 

 

ヨーグルトを頂き終わった時点で、まぁ小1時間ぐらい経っていた。

 

 

「じゃ、私もご一緒しますんで」

 

と仰って頂いたので、お母様と一緒に寺までゆく事になった。

かなりの距離が有る筈なんだけど。

 

まぁ、折角だし。と思いながら、今度は自分と彼の話をしながら歩いた。

 

楽しませ好きな性格や、正義感溢れる話。自分の知ってる彼は、自分が知るよりずっと昔からそのままだった。

 

巌根(木更津市)のひとつ手前が袖ヶ浦駅なんだけれど、通勤帰りに袖ヶ浦からよくウォーキングしてたのは自分も知ってた。

お母様も1度チャレンジしてみたらしいけれど、「あれはとんでもない距離だった」というぐらいだし、仕事帰りにまぁ45分も歩くとか、相当おかしな人だ!って、彼自身から聞いた時もゲラゲラ笑った記憶がある。

 

尺を考えてゆっくり話していたら、「あ、ここです」と言われたのが、駅からの道中に見かけた寺だった。

あれ・・。これ話の残りどうしよう。

 

しかし全くそのままだった。3年前どうやってあんなに時間をかけて辿り着いたのか判らない。車で駅から30秒のこの距離。

寺がズドンと移動してきたのかと思ったけど、レイアウトも景色もそのままだったし間違いない。

 

境内にある納骨堂に眠る彼に手を合わせて、彼の今後(という言い方が正しいのか判らんけど)の話を少し伺った。

また来ると思うし、まぁ場所もしっかり判ったので良かった。

 

 

ひとしきり話をした後、深々とお礼をして、彼の伸び伸び育った木更津を後にした。