5年目

自分も37になると、いよいよ自分の歳の頃だった自分の父と、今の自分をなんとなく比較したりする。まぁ色々生活環境が違って、子供が居ないという点でも違うし、比較しようにも生活環境が違うから、いよいよ父と異なる運命へ歩みだしている感は有る。

 

この年頃から、家に帰るのが割と遅くなって来ていた記憶があるし、コミュニケーションは余り無かった様な気がする。それでも週末は割と一緒に居る事が多かった。まだ家が裕福な時代で、行きたいところには連れて行ってくれたし、欲しいものを買ってもらったりして、パソコンのキーボードというものを初めて触ったのも、この時期あたりだった。

 

パソコンとはいえ、当時はMSX2がパナソニックから出た頃で、ファミコンもいいだけやり尽くした後、ゲームをやる一方で、マイコンBASICを読み耽ってはコードをBASICで打ち込んでゲームを作ったり、音を打ち込んで8bitの音源で再生したりしてた。

 

今思えばウェブもまだ普及してない時期にデジタルに触れていたんだけど、「女の子」という存在がMSXを遥かに上回る興味の対象になりつつあったので、中学を卒業する頃には機材に触れることも無くなっていた。男子校なんかに進学してたら、今頃エンジニアの道に進んでいたんだろうかなとは思う。いや、そうならなくてよかった。仕事にしてたらプライベートなんかで絶対触ってなかったろうと思うとゾッとする。次に触れる事になるのは7年後、WindowsNTだった。

 

 

 

会社には休日に何度か行った事があるけど、仕事をしている時の雰囲気を見たことが無かったから、半分位判らない感じなんだよな。

 

ボールベアリングや機械部品を扱っている小さな会社だったけど、経営も営業もしていたし、相当忙しかった筈で、取引先には後年自分が物流として関わる事になったとても大きな企業も幾つか有って、いやーこんな人々を相手にしていたのかという感は後になって感じた。

 

 

 

台風の中、前夜に母にメールをしてみたら「行きます」と返事が帰ってきたので、電車が次々と運行見合わせになる中、昭和教会まで。1年に1度しか伺わないけど、牧師が変わってから教会がまた少し遠くなった感じがする。

 

そういえば、この大阪昭和教会に自分が初めて連れてこられてから30年丁度が経った。

子供礼拝の頃から知っている人もまだ健在。会堂が1度消失、牧師が5度変わり、1年間無牧の時期が2度有り、過酷な歴史を乗り越えながらまだ山坂でその業を守っている。

 

礼拝に来る人は若干増えている気はするし、まだまだその歴史を伸ばしてゆける教会だと思う。

せめて自分の葬儀はここで出来たら良いなぁ。

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