高校時代の後輩の訃報が届いたのは先週の日曜日だった。
卒業してからは結婚式や何かのイベントで会う程度だったので、本当にコンタクトは少なかったけれど、現役時代は同じtbパートで出来の悪い先輩の反面教師として練習熱心だったし、一緒に入部したもう1人の後輩といつも仲良くしていて、夜の文の里商店街のアーケードや長居公園でよく練習していたのを覚えている。
アーケードでと言ったけれど、当時はまだ色々なところで音をだす事が黙認された時代だったので、今では考えられない状況かも知れない。当時一緒に居た頃を思い出すと、ほんと1990年って遥か昔なんだなぁって感じる。
いつも自分のパートのマスコット的存在で、いじられながらも誰からも愛される人柄、僕が覚えている限りでメガネが一番似合う女の子だったけれど、40の誕生日を迎えて間もなく旅立ってしまった。1度は乗り越えたガンと今一度闘う事になっての結果だけれど、彼女はそうでありながらも、ご主人やとりまく友人達には必ず笑顔であったろうし、本当に頑張ったろうなと思う。
今日、当時顧問であり担任でもあった教諭の還暦パーティが開かれるのだけれど、はからずも当週に全員が集まる事になってしまった。僕たちはいつもの6人で足を運んだ。卒業以来会っていないOBも多かった。
ところで広い葬祭場へ弔問するのは社会人になってから多分初めての事で、「お焼香」が今ひとつ分からなかった。
仏式にしてもお座敷で故人に手を合わせ、ご遺族や友人と生前を偲ぶ、というスタイルが多かったというのもある。遅めに到着したので始まった頃にはお経や何かがあったのだろうけど、自分の頃は後輩が好きだったウルフルズやドリカムが流れるゆったりとした時間になっていた。
ほんと、失礼があってはと思って、「た、頼む・・」ってアッキーに先に行ってもらったのを真似したけれど、まぁ、天国から笑われたろうな。最期の顔合わせも、少し笑みを浮かべていた気がする。
真っ先に死ぬのは自分だって昔から言われてて、まぁそうだろうねと自分も思っていたのに、
ほんと、何事もなく長く長く幸せな将来を歩むんだろうなぁっていう身近だった子が、自分より先に旅立ってゆくのはなんだか辛いね。