枕辺の祈り

ミレニアムを控えた2000年の秋、私と親父は押し黙ったまま円卓を囲んでいた。





──競馬の予想。





午前中いっぱい考え込んだ結論が、私が14番ヤマカツスズラン、親父が幸四郎騎乗の4番ティコティコタック。お互いの軸馬を見て「それは無いわ、、、」と譲らないままヒモを絞り込んで勝負に。


馬場さんの実況で、第5回秋華賞のゲートが切って落とされた。馬場さんの実況はさくさくしていて凄く好きなんだけれど、彼の実況の時に勝った記憶が無い。


かくしてレースは終始ヤマカツの逃げ。安定した状態で4コーナーを回り、バテる気配もなく後続は完全にヤマカツペースに飲み込まれる。


グランパドもチアズも伸びない。そして私も親父も見向きしなかったシルクプリマドンナは最早空気。カフェで親父とテレビを見守る中、私は勝利を確認して煙草に火をつけた。


「いけっ!」


急に親父が昔と同じ様な調子でひと叫びすると、内から一気にティコティコタックが抜けてきた。



「え・・。」


結局勝ったのは、オークス馬も桜花賞馬も蹴散らしたティコティコタック、2着はヤマカツスズラン、3着は勝ち馬のスリップストリームに乗じたトーワトレジャー



「あ・・・そういえば、親父14番買ってた?」

「いや・・・」

「俺も4番買ってないわ・・」


ドンピシャの予想が親子で行われていたにも関わらず、お互いの軸馬をヒモにさえしなかったお陰で3万馬券を逃してズッコケたとか、そんな話。


トーワトレジャーは買ってたんだけどな・・。


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親父の最期は病院に向かうタクシーの中で受け取った母からのメール。

来週かねぇ なんて前日に母上と話していた矢先の呼び出しだったので油断していた。



病院に到着するとソファに座った母上が居た。


何も云わずに母上は病室に入り、昨日まで親父が居た場所へ進む。






涙ぐみながらカーテンをくぐると、変わり果てた姿になっている親父が居て、あれ?










「えっと・・・、部屋間違えてるわ。」

「あら、ほんとだわ。」









先方も大変びっくりした事だと思うけれど、思いっきり違う病室に入ってしまったのがおかしくて笑ってしまった。







霊安室に移った親父の横で泣いていると、礼拝日にも関わらず牧師先生が駆けつけてくれた。


枕辺の祈り。


地上で生を受けてから今日という日まで導いて戴いた事への感謝、そして天国へ確かに受け入れて戴ける様に、見送る家族への豊かな慰めがある様に、静かに祈りが続く。見方を変えると、これはまだ実感を得ていない私たちへ、親父が確かに死んだ事をハッキリさせる宣言にも聞こえた。


この時に沢山泣いたので、葬儀が終わるまでは大して泣かなかった。


牧師先生の祈りが静かに続く。涙が止まらなくなったあたりで部屋の扉がにわかに開き、看護婦がひょいっと顔を出した。




「あっすいません〜 さっきのお釣り少なかったんで、10円お渡ししときます〜」




10円て。




その10円玉を握りしめたまま、枕辺の祈りが終わるのを聞いた。


親父を教会へつれてゆく車が到着するまで、しばらく親父のこれまでの生い立ちを牧師先生に話す時間となった。母上が話す親父のこれまでを聞いているとまた涙が止まらなくなり、煙草を吸いに外へ出ようと扉を開けた。


同じタイミングで、先ほどとは別の看護婦が目の前に現れた。




「あっ、すいませんこれ、お着替えの分2650円になります〜」

「え・・あ、はい。えっと、うん。ちょうどあるわ・・。」



「っていうかほんま空気読めへんなーもう」

やりとりが終わった後、間を置かずについ口に出してしまった。


「あれ、もしかして聞こえてたかな?;」


牧師先生が半笑いでゆっくり頷いた。


向こうも日常の仕事の範疇だし、私も判ってる事なんだけれど、初めて葬儀をとりおこなう側になって、この日も、この後も驚く事が少なくなかった。






笑ったり泣いたりしながら、親父の葬儀が始まった。