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嵐の夜に

高校時代に大好きだった子の夢を見た。

自分の中ではもう20年以上時間が止まっているので、だったというかそのままなんだけど、

当時彼女を裏切ってしまった事がその後の自分の人生を大きく左右した気がする。

 

一緒にテスト勉強した時間だとか、楽器のバッグに付けてもらったスライムのキーホルダーだとか、割と細かな記憶まで残ってるけど、長い間後悔に支配されすぎた。

ねこあるき拡大

太子~山王のエリアから、今池迄エリアを拡大した。

 

太子も山王も今、確実に猫の数は減っていて管理活動の効果が出ている様に思う。サイクルからして3年、野良猫1世代分か。という事もあり、今池に足を伸ばす事にした。

 

釜ヶ崎の東ウイングとなる今池は、日中から公道に張り出た飲み屋に人が集まる様な地域で、穏やかではないし、カメラを安易に向けられる場所でもないのでかなり限定された行動になるけれど、今池停留場はどうやら大丈夫そうだった(目下ではケンカや怒声が響いてるけど)。

 

最近、停留場を住まいにしている猫の一匹がどうも子を抱えている様だった。

此方側は街猫管理が入っていない(入れないんだろうと思う)ので、繁殖は自由になっている。町内の奥へゆくと更に若い猫が多かったので、やはりここを中心に子どもたちが縄張りを広げていっているんだろう。

 

おしゃれな猫カフェでもなく、観光客の集まる猫スポットでもなく、ただ地味に生活を送る場所を探してるのは余り理解されないだろうなぁとは思う。いつまで続くのかねぇ・・。

 

 

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土曜日うめだ

ゆきちゃん。ヤフチャ時代からもう何年だろうか。

自分の中でリアクション力第1位の彼女が来阪するとあれば駆けつけないと。

 

仕事を片付けて夕方の梅田。LINEの通知ポップが出なかったが為に待ちぼうけさせてしまい、道頓堀でたこ焼きを食べてきた彼女に、更に蛸之徹のたこ焼きで追い打ちをかけたのが1軒目。

 

「そこ、まとめて!そうそう!1個ずつにまとめてって!よし回して!」

 「だめです!私じゃもうだめかもしれないです!」

「焼けてる!そこから食べて!」

 「はい!あっ・・あつ・・熱いです!さっき鉄板から1個丸呑みしてたのおかしくないですか!?」

 

こんな具合で、大阪のたこ焼きの厳しさを教えつつ、2軒目に美舟のお好み焼きを押し込もうと思ったら18時からだったし、時間も有ったのでお初天神から北新地方面へ散歩する事に。

 

露天神社で珍しくネコを見かけた。

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北新地は夕食タイムだった。

 

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そのまま予定を変更して新地のだるまへ。

紅しょうがを御見舞するのを忘れた。

 

いいだけ食べてお腹いっぱいになったら〆のスタバ。

ゆきちゃんは何か分からない呪文を唱えてチョコがけの甘い何かを注文してた。

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帰りがけに「豚まんを買って帰る」という話になって、「あったかいのか冷凍か」で議論になって。新幹線は冷凍じゃないかな??って言ってみたけど、どうやら「あったかいほう」を買って帰ったらしい。

 

新幹線程の時間があれば、ニオイに釣られて全部食べてしまえそうだ。

次はいつだろうなぁ。らず君と3人で会いたい。

後輩

高校時代の後輩の訃報が届いたのは先週の日曜日だった。

 

卒業してからは結婚式や何かのイベントで会う程度だったので、本当にコンタクトは少なかったけれど、現役時代は同じtbパートで出来の悪い先輩の反面教師として練習熱心だったし、一緒に入部したもう1人の後輩といつも仲良くしていて、夜の文の里商店街のアーケードや長居公園でよく練習していたのを覚えている。

 

アーケードでと言ったけれど、当時はまだ色々なところで音をだす事が黙認された時代だったので、今では考えられない状況かも知れない。当時一緒に居た頃を思い出すと、ほんと1990年って遥か昔なんだなぁって感じる。

 

いつも自分のパートのマスコット的存在で、いじられながらも誰からも愛される人柄、僕が覚えている限りでメガネが一番似合う女の子だったけれど、40の誕生日を迎えて間もなく旅立ってしまった。1度は乗り越えたガンと今一度闘う事になっての結果だけれど、彼女はそうでありながらも、ご主人やとりまく友人達には必ず笑顔であったろうし、本当に頑張ったろうなと思う。

 

 

今日、当時顧問であり担任でもあった教諭の還暦パーティが開かれるのだけれど、はからずも当週に全員が集まる事になってしまった。僕たちはいつもの6人で足を運んだ。卒業以来会っていないOBも多かった。

 

ところで広い葬祭場へ弔問するのは社会人になってから多分初めての事で、「お焼香」が今ひとつ分からなかった。

仏式にしてもお座敷で故人に手を合わせ、ご遺族や友人と生前を偲ぶ、というスタイルが多かったというのもある。遅めに到着したので始まった頃にはお経や何かがあったのだろうけど、自分の頃は後輩が好きだったウルフルズやドリカムが流れるゆったりとした時間になっていた。

 

ほんと、失礼があってはと思って、「た、頼む・・」ってアッキーに先に行ってもらったのを真似したけれど、まぁ、天国から笑われたろうな。最期の顔合わせも、少し笑みを浮かべていた気がする。

 

真っ先に死ぬのは自分だって昔から言われてて、まぁそうだろうねと自分も思っていたのに、

ほんと、何事もなく長く長く幸せな将来を歩むんだろうなぁっていう身近だった子が、自分より先に旅立ってゆくのはなんだか辛いね。