訃報。以前チャットで何度か話をした事が有る人の死について、友人から伝え聞く。
「覚えてる?」と聞かれたところから始まって、「覚えてる」と応えたところから続いた。自分が死んでも、誰かに覚えて貰っているっていうのは、その人が生きていたという証で、別の言葉で云うと何かの書類だとか紙切れなんかはただの紙切れなわけで、何も語ってはくれない。むしろ、その人を憶えている人がその人を思い出す時、またその人の事を誰かに語る時、それが証になるんだという話を少々。
これで3度目。ネットに浸かっている時期が長くなればなる程こういった悲しい出来事にはまだこれからも直面するだろうけれど、憶えていてあげる事はもうその人の知る処では無くても大切な事だと思う。酒好きでハンドルネームまで酒の名前だったオッチャンは10年前の秋に飲み過ぎて逝った。皆に「あの人らしいな」と言われて随分時間が経ってからもなお、何度も思い出話が出て来た。アダルトなんてカテゴリのチャットルームにふと舞い降りて、皆から大事にされていた女の子は2年前の初夏、皆に永遠を約束して貰って安らかに旅立った。diaryのログをFDに保存した人、ムービーを作って残した人、随分時間が経った今もBBSに訪れる人。彼女の問い
掛けた「永遠」を存在させるべく、皆記憶に刻んだ。
ネットは手軽で、同じ価値観を持つ人が気軽に語り合え、実生活の中ではなかなか話せない事を話せるいい場所な半面、心の闇を持つ人同士が集まって、ひとたびそのコミュニケーションの輪が閉鎖排他的になってしまうと、外に居る人々にとってはどうしようも無く、非力だ。今回の1件ではネットの一番辛い部分を見た様な気がする。オフライン>オンライン>オンラインの中のもう一つの空間。ログを全て監視する事は出来ないし、コミュニケーションの輪が悪い(この場合悪いと言っていいのか判らないけれど)方向へ行く事を常に阻止出来るユーザーが居るわけでも無い。年々増えるネット発の自殺はこれからも増えてゆくだろうし、コミュニケーションの場を提供しているポータルは自己責任の幟を立てて逃げ切るかも知れない。今回の訃報はこの辛い状況を目の当たりにさせられたもので、悲しみと同時に考えさせられるものが有った。心に闇を持つ人同士でしか分かり合えない事も有るし、闇の無い人々が色々出来る事も有る。独りで10人を引っ張り上げる事は出来なくても、10人で1人を引っ張り上げる事は可能だ。