さて尾鷲駅を一旦戻って、相賀へ。
どうも尾鷲から登るのはかなりキツイという噂があったし、帰り荷を預ける都合が有った。
予定の行程は3時間半。休憩も含めると結果的に丁度3時間だった。
無人駅の相賀駅を抜けて相賀神社。そんな大した道中ではないけれど、道中安全を祈願した後、42号線を南へ南へ下り、銚子橋を渡って歩く事30分。
ようやくここで登山口が見えてきた。
今回のルート、馬越峠は道中のほぼ全てが石畳。
この石畳はかなりよく出来ている。
前半の登山口から峠までのルートは物凄く急勾配だっta。
調べたところによると一旦土をほっくり返して、2度石を敷く二重構造になっていて、下から敷き詰めて上の段が少し頭を出して行っている。
歩くとこれがよくわかるんだけれど、このきつい傾斜を緩やかな山道に変える為に、相当の労力を使って作られたんだろうなと思った。
17世紀には既に「有った」と言われるこの街道なので、修復を施しながらも実に400年の間、雨の多いこの地域から街道と往来の人々を守ってきた、そんな感じの街道。
がつがつと登っていると、後ろから日傘に水筒1本のご婦人がさくさくと自分を追い越していった。
恐ろしく軽装なんだけれど、峠まで行って折り返してきたのか、もう1度会ったときにはまさに「駆け降り」て下って行っていた。
<尾鷲へ向けて出発。登りと比べると崩落や落ち葉をかぶっているところが多い>
<そしてきのこ。きのこを見つけるとなんだかカメラを向けてしまう癖がある>
<降りてくると石碑があった。尾鷲市教育委員会。>
<尾鷲神社。お気づきかと思うけれど、気になるものがあるよね。オリジナルサイズで拡大するといいね。>
下る途中に喫茶店があった。山帰来。
山小屋の様な作りで、自家製のパンを焼いたりしているお店。近くでとれた山桃のソーダ割りも美味しかったし、がっつり歩いた後の休息を取れた。
相賀方面からは、登山口の近所に道の駅、尾鷲川にはこの喫茶店と自販機。道中には当然の事ながら自販機やトイレといった文明の設備は一切無し。私が持参した水500mlは峠についた時点でほとんど無くなってしまい危なかった。
まぁ、とりあえず、神々しさとか苔むした石畳とかを堪能する余裕ゼロだった。
前述の山帰来で伺うと、ご存知の通り尾鷲は大台ケ原にも近く、物凄く降雨の多い地域の為、馬越峠も足元がカラッとしている事というのは少ないみたい。話を聞いて山帰来を出た直後に、まさに雨が降ってきたけれど、雨後は石畳が滑りやすくなり、下りが非常にきついとか。
とにかく面白かった。汗でぐったぐたになったけれど、道中は見るものが物凄く多いし、途中の小川で顔洗うのはとても気持ちがいい。これといったトレーニング無しで気軽に登れるので、自然が大好きでドMな人は行くといいと思う。
しかし、この馬越峠は熊野参詣道のごくごく一部。
伊勢からここを通って、更に難易度の高い峠も越えて熊野三山へ徒歩で向かっていた人々ね。凄い。1100年も続くブームだよ。「熊野参詣がアツイ!」ってって。
後白河上皇みたいに、京都から33回も参詣道を往復した猛者も居るしね。目的やテーマこそ違えど、世界遺産になるべくしてなるものが色々有るんだ。今回の私は大して見なかったけど・・。
写真もビデオもなく、その場所がどんなところかを視覚的に表現する方法が無い時代の参詣は、何もかもが初めて見るものだし、何も形に残して持ち帰れないわけだし、今とはまた違った感覚だったろうね。
デジタルカメラで好きなだけ写真を取りながら、タブレットで峠越えの地図を確認したり、今どこどこみたいなツイートを発信したりっていうのが未来では出来るんだよ!のを当時の人が聞いても、割とどうでもいい事だって思われる様な気がする。
ちなみに地図は後述のサイトからPDFでダウンロード出来て、それをtabで見ながらだったけれど、GoogleMapは道中全く役に立たなかった。
<尾根に沿って履歴は残ってるけど街道はgooglemapに無かった>
以上報告。資料や見どころ、参考になる様な事は書かなかったので、下記サイトを参考に。
○世界遺産熊野古道
http://www.pref.mie.lg.jp/KODO/
○熊野本宮観光協会
http://www.hongu.jp/index.html