親父の死後、叔母のもとでゆっくりと生活していた祖母の訃報が届いたのは日曜の晩、まさに懲りない面々の皆と、はやしの薄い座布団に座った時だった。喪主や日取りは翌日まとまり、火曜日の午後から岡崎へ。
東岡崎はもう25年ぶり位じゃないかと思う。先日長野へ行く際に通過したけれど、まともに降りるのは本当に久々だった。野田阪神界隈の著しい近代化とは打って変わって、駅前の姿に変化は無かった。岡ビル百貨店とかまだ有った。
出発前に予約したホテルに荷を降ろした後式場へ。
昭和教会の牧師先生も司式として大阪から駆けつけて下さり、現地では岡崎教会さんが前夜式、葬送式の為の場所を提供して下さって、何ら滞り無く執り行われた。
祖母との思い出は社会人になる迄に集中しているのだけれど、今の自分の感覚で思い出すと、とにかく上品で、些細な事でも何か有った時は、誰もが公平に納得できる対応をとれる品格の持ち主で、関わるすべての人から尊敬されていたなぁと感じる。自分にはいつも優しかった。
今回は家族葬に近い形で進められ、式は家族一同と、直近まで祖母がお世話になっていた方で行われた。
暖かい時間になって良かった。
葬送式の後の晩餐でようやく自分も口を開く様になったけれど、昔まだ景気のいい屋敷に住んでいた頃は、従姉妹がしょっちゅう遊びに来ていて、従姉妹大好きだった自分は弟と取り合いになり、屋敷でかくれんぼするのに「従姉妹と一緒に居た方が勝ち」みたいな妙な勝ち負けになっていたのを思い出した。
一緒に居なかった方は、べそかいてるところを祖母にヨシヨシされるという結果になっていたけれど、あの頃は本当に家族で集まるっていうのが楽しかったな。
食事の場や道中で、昭和教会の牧師先生とも割と話した。
牧師先生とフリーで何かを話すっていうのは、代々お世話になっている中でも珍しいかも知れない。
お互い煙草を吸うので、きっかけが有ったといえばそうなんだけど、また時間をとって1度ゆっくり話をしてみたい。