爆散

会議からの帰り、隣でハンドルを握っていた部長も、今テレビで語っていた作家も同じ事を言った。


─なぜ情状に訴えなかったのか


死刑という位置づけは色々と取り様も有るだろうし、それだけを議論しても反論しても何もならないし、この極刑を下さないといけない理由は何かという根本的な問題じゃないのかと。

それは罪の重さであったり、遺族の怒りであったり、再犯の可能性であり、世論だったり。

もし自分の大事なヒトが何がしかの不幸に巻き込まれた場合、きっとその原因になった加害者に対して死んでしまえと思うだろうんだけれど、果たして死刑になったからといってその無念が晴らされるかどうか判らないし、外国の様に、250年の服役刑と、死刑とどちらかを与える事が出来ますよと言われると、250年を選んで死ぬまで反省の生き地獄を与えるかも知れない。

だから死刑はどうなんだと問われてもぶっちゃけ判らん。その心情になる様な事は今まで無かったし、これからも無いと信じてるけれど、無くなったら無くなったで色々問題も出てくるんだろうし、今この頭で考える限りでは、その極刑に値する現実での対案を出さないと何も始まらないんじゃないかと思う。

とにかく今回は弁護団の主張ばかりが目立って、間で加害者と遺族がくるくる回ってるうちに世論の風が吹いて「死刑」という絵ばかりが見えて仕方ない。判決文は弁護団の主張を1つ1つ否定してゆく様なものだったと聞いたけれど、これもマスコミというものを挟んでいるから、なんとなく見えない部分もある様な気もする。それは誰に良いことかっていうのは別として。

結論が出ないので終わり。