地震の話

オチ無しで淡々と書きます。

寝てました。勿論。

多分このdiaryでは地震の話は書いてなかったので、1995年1月17日午前5時46分フラッシュバック。

当時の僕がどうだったかというと、高校3年。大学入試は推薦でキメてしまっていたので、バイトしたりパチンコ行ったり(後にこのパチンコ屋でもバイトする)、地元の友人達と喋ってたり。何だか平穏な1995年の幕開けと思いきや、この1日前に1年半付き合った1つ年下の彼女と別れた。踏み切りバイバイ。傍にあった駅舎はもう残っていない。この後半年ほど失恋にドンヨリする事になるんだけれど、それはさておき、突如揺れた。滅多な事では起きないのにこの時ばかりは起きた。

結構高さの低いベッドなのに激しく揺れ、棚上1.5MにあったCDデッキが落ちてきた。顔そば20cmを落下するデッキ、揺れる部屋、ベッド、あり得ん!! んーっと、これは何だ。

お化けかポルターガイストだ!!

素でそう思った。そう思う位の未体験の揺れだったので、全然関係ない事で怖くなってしまった。こう思ったのは日本中で多分僕1人かもしれない。さびしい。

階下へ行くと両親と弟、猫4匹がゆったりとテレビを見てるので(僕はお化けだと半ば信じていたので暫く布団をかぶっており、階下へ行くのが遅れた)、映し出された火災の様子を見て、んっと、何?あ、地震なの?と、大勢の関西人より10分程遅れて地震であった事に気づく。

リポーターの声。意味不明。「えーっと、えーっと、これは、えー、淡路島でしょうか。おそらく淡路島の様子です。燃えています。」

神戸へ飛んでるんだからよもや淡路島と神戸市内を間違えんだろうと思ったけれど、よく考えたらとりあえず飛んで闇雲に地上の様子を伺ってるんだから、対岸の淡路島だと勘違いするのもあり得るかも知れない。で、暫く経ってから、全国を震撼させた「神戸です!神戸が燃えています!ご覧の映像は神戸の状況です!」のリポートに切り替わった。

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何故空からでの情報しか入ってこなかったのかというと、119番回線が使い物にならなかったというのも原因のひとつといわれる。神戸市消防局の全118回線は地震直後にほぼパンク状態に入り、40%が受信しても相手方の反応が無い無音通信となり、更に受信した電話のほとんどが通報とは関係の無い状況確認の為の電話だったという。これでは火災の覚知には繋がらない。西宮では出動中、また高所監視中の消防隊員の通報によって発見された火災がほとんどだったとの記録もある。

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で、とりあえず服を着替えて家の外へ出てみる。植木鉢がひっくり返っている。ご近所も当然一斉に起きて明かりを灯し、さながら19時台の夕餉の雰囲気。何処へ向かったかというと、バイト先の弁当屋。僕は丁度休みだったけれど、パートさんが2名出勤してる。5時46分というとフライヤーと炊飯器に点火している時間帯だから、店長より早く到着できる僕はとりあえずカッ飛ばして店へ向かった。いつも遅刻気味でカッ飛ばして10分で到着するところを更にカッ飛ばして5分で爆走。途中新聞配達のカブを2台程抜いた。

幸いフライヤーに点火する直前だった様で大事には至らなかったものの、店内がエライ事になってる。とりあえずエプロンをつけて、片付けを1時間程。一方自分とこから数km先にある別の店では5時30分にフライヤー点火して、揺れで油をかぶってしまったパートさんが居る、と、僕より数分遅れて到着した店長の情報。

夜が明けて自宅帰還。

普通に学ラン着て学校へ行くとガラスが随分割れてた。とりあえず集まって臨時休校発表->そのまま帰らずにお馴染みの面々と長居公園で話してた様な気がする。

後はよく覚えてない。終わり。

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地震に必要なもの。

とりあえず、家が半壊して住むところが無くなるというところまで想定しておいた方がいいかもしれない。その上で準備しておいたものをイザ取り出すことが出来るかというとそれも疑問だけれど。出来るだけ外に近いトコに置いておいたほうがいいかもしれない。コンテナに入れて軒先、玄関の靴箱とか。押入れなんかに入れておくのは論外かと。そういったアイテムを家の中へ取りに言って帰らぬ人にならない為にも。現金や債権、高額貴重品なんかが命の次に大事な人はは貸金庫だとかに入れて極力家におかないか、重耐火金庫に入れるしかない。そういうものは一度家を出たら取戻しが聞かないと踏んだ方がいい。

長期滞在を前提とした登山へ行く携行品と同じだな、と、今列挙して思った。登山で使うものは全て使える。しかもこれら登山用品は超軽量。当然これをもって山を登ろうっていうんだから、持ち運びが物凄い楽になる。食糧は列島全域が震災にあわない限りそのうち配給が来るんだし、1日2日食べなくてもまぁ生きてゆける。列島全域が震災に遭った場合は欧米や周辺各国の救援を期待。世界でもっとも早い救援部隊は英国軍だとか。遠いけど。とりあえず1週間は過ごせるドライフード。防寒具や合羽は食料より重要かも。避難施設の無いエリア、有っても知らない、有ってもパンク。十分有り得る。家屋以外で屋根のあるところなんて結構限られてるし、そいう時に屋根のあるところへ近寄るのは危ないことこの上ない。ガラスのシャワーを浴びる。避難施設は必ずしも落ち着けるところではないかもしれない。避難所に入れても広間に入れず通路廊下階段で過ごす事になる場合もあるし、地震発生数日間は余震に備えて火気厳禁になる想定も無視できない。

長袖シャツ。Tシャツ、ズボン、下着、防寒具、レインウェア、ソックス、手袋、帽子、シューズ、ステッキ、ザック、水筒、ヘッドランプ、ナイフ、タオル、ロールペーパー、ごみ袋、時計、筆記具、携帯電話、保険証、ライター、シェルト、コンロ、燃料、小型コッフェル、医薬品、非常食、マスク、生理用品、予備のメガネ・コンタクト、ウェットティッシュ、ホイッスル、ラジオ、電池。これくらいで10kgかな。